わたしはその方の声を聞いたことがない。
出会ったときにはもう声帯を取る手術をしたあとで
痛々しく首に包帯が巻かれていた。
始まりは一通のお手紙だった。
勤め先に届いたそのお手紙には
余命が2ヶ月~6ヶ月であること、
それまでに家族に絵を残したいとのことがしたためられていた。
すぐに連絡をとってお宅にお邪魔したのが4月5日。
おうちには彼女の油絵や版画がかけられており
いまさら習う必要もないくらいのできばえだった。
彼女はわたしのような絵が描きたいという。
言っている意味はわかった。
ある程度描けるようになると陥りやすいところに彼女はいたのだ。
デッサン力がつき描写力がつき
見たまま描けるようになるとそれでは物足りなくなる。
あとは自分の世界をどう出してゆくかになるのだけれど
それには時間がかかる。
ある日ひゅっと生まれることもあるけれど
それはひたすら努力したあとのこと。
自分のスタイルを押し付けることは主義に反するけれど
彼女に残された時間は少ない。
自信はなかったけれどできるだけやってみよう、と引き受けた。
その日から教える仕事のない日はできるだけ通った。
彼女の居間には作りつけの棚があり
一面に香水壜のコレクションが飾ってあった。
わたしは香水をつけるのが苦手なのだけれど
壜のデザインの美しさにはおもわずみとれた。
彼女は香水が大好きなのだけれど
手術してからはにおいが
まったくわからなくなってしまったのだそうだ。
玄関入ってすぐのところに鏡張りのお部屋があった。
フラダンスのお稽古をするために
作ったばかりのときに病気が発覚したのだという。
声が出ないばかりではなく食事も喉を通せない。
胃ろうで栄養を摂らなければならなかった。
病は彼女の好きなことをひとつひとつ奪っていき
最後に残ったのが絵だった。
リンパの流れが滞るらしく
顔が日に日にむくんでいくのが辛そうだった。
病気前の美しかった彼女の写真を見せていただいたけれど
わたしには華やかでかわいらしくておしゃべり好きな
彼女の姿が見えていたので全然違和感がなかった。
ただ、見た目のことだけではなく
むくんだことで下を向くのがだんだん辛くなるようだった。
初めてお会いしたとき
わたしを見て妖精が来たとおもった、とおっしゃった。
妖精がみえたとしたらこのころ毎日描いてた
桜の妖精かもしれない。
早起きして桜を描き、教室で教え
空いた日はそちらに通っていたので
わたしのほうもだんだん消耗していった。
教えながらも一緒に描くのでスケッチは十分できる。
だけれどスケッチはスポーツでいう準備運動や基礎練習みたいなもので
重要ではあるけれど
そればかりやっていても絵はできあがらない。
絵を描く時間がなくなることがかなりのストレスになっていった。
それでも彼女のことは会うたびに好きになっていった。
絵のお稽古のあとで筆談でいろんな話をするのが楽しかった。
とてもエネルギッシュな方で油絵、版画、
フラダンスのほかにもいろいろやっていたらしかった。
彫金を学校に習いに行った話
熱帯魚に凝ってアロワナはじめ珍しいお魚をいっぱい飼って
水族館みたいにしたこと
ワインにも凝って立派なワインセラーがあったこと・・・
世界がちがう!とおもったけれど彼女の話はおもしろく
毎回惹きつけられた。
わたしがこの年まで結婚をしていないことをきいても
結婚しろ、とは決して言わなかった。
彼女自身が幸せな結婚をしていたのにもかかわらず。
彼女は「隣の芝は青くみえるもの」と書いた。
わたしにはやりたいことがあるのだから
そしてそれができる環境にあるのだから
ムリに結婚してそれを手放すことはないと。
「隣の芝は青く見えるもの」
すうっとこころにしみこんだ。
「外国人がいいかもね。」
なんてお茶目にわらう。
ガールズトークをさせたら天下一品!
あまり好きになったら別れが辛くなるのはわかっていたのだけれど
話せば話すほど好きになっていった。
5月の半ば、いつもの仲間と軽井沢に合宿に行く話になった。
なんだか気が進まなかった。
その前お伺いしたとき、
今までで一番調子が悪いとおっしゃってたのも気になったし
その3日間があったら絵が描ける。
でも5月の美しい山には行きたかったし
気分転換になるかも、と参加した。
結果あまり楽しめず、早く帰りたいとばかり思っていた。
帰った翌々日、お伺いする予定が具合が悪いとのことで
キャンセルになった。
そのままキャンセルが続き、わたしはひたすら回復を祈った。
絵の額装を頼みたいとの連絡がお嬢さんから入り、
わたしは彼女の家にスケッチブックをとりに行ったけれど
本人には会えなかった。
その足ですぐに画材屋さんに行き、額を注文した。
額ができたとの連絡が入り、お嬢さんにとりに行っていただいた。
ぎりぎり間に合った。
彼女が亡くなる2日前だった。
先日ご焼香にうかがったおり、額装された彼女の絵を見た。
紫色のクレマチスはみずみずしく彼女の望んだとおり
柔らかな色彩で軽やかに描かれている。
もう一点はハナミズキ。
淡い水色の空にうかぶ白い花びら。
彼女が家族に残したかったのは
彼女のいない寂しさを和らげる明るくやさしい絵だった。
こちらは彼女に描いてもらおうとおもって
摘んできた山芍薬。
あの日キャンセルがなかったらどんな絵を描いてくれただろう。
ヤマシャクヤク:Paeonia japonica
ボタン科ボタン属の多年草。
朝鮮半島と日本の北海道・本州・四国・九州の
落葉広葉樹林下などの山地帯に生える。
開花時期:4~6月
花言葉:はにかみ
口腔癌との戦い
涙がでて堪りませんでした。キミジィも口腔舌下癌の手術を行い再発の連続で二年ぐらい喋る事が困難な時がありました。そんな折絵を描こうと思い立ちキャンバスに向いました。そんな療養生活を思い出し涙しました。人とのふれあい大切にしたいものです。これからも宜しく!!
そうでしたか!
大変な経験をされたのですね。
今は克服されて肉体的にずいぶんきついお仕事をされているご様子。
すごいことですね。
今のお仕事をさせてくれるために病魔が去ってくれたのでしょうか。
いつかキミジィさんの森のキャンバス、拝見したいです。
でもくれぐれも無理なさらぬよう・・・。
たしかに青く見える
連休が明けて、職場で未読部分を読んでいたら・・・
朝から職場で号泣。。。
彼女の話は聞いていたけど、余命のある方のことだから
「その後どう?」と聞くのがためらわれていたら
そんなに前に旅立っていたのか。。。
間接的にだけど、いい出会いをおすそ分けしてもらって
良かったよ。
連休明けから
すまなかったね。
口に出すと泣いてしまいそうだったのでそのまま言わずじまいだった。
2ヶ月にも満たない交流だったけれど濃かった。
命の期限をきられてどんどんできることが少なくなってそれでもあんなに凛と生きられるものかと…。
まだまだ修行だね。。。